only_skin_deepのブログ

飛ぶ前に見ろ、それができたら嬉しいね。

【散文】これは小説のカタチになれなかった文章のバラバラ

    

興味対象にされるか、研究対象にされるか、異物を見つめる目で見られるか。

 

大体がこの3つで収まる生き方だった。

 

 

 

私は0から何かを産むのがなかなか出来なくて、私が書く小説も偶に描く絵ももっと偶に書く詩も、全部が自分の今までこの2つの眼で視て識ってきた事から成り立っている。   

 

 

 

だからこの前「何も引っ掛かるものが見当たらなかった」と、私の文章に目を通したとある編集者に言われた事を知って、創作の構成や言葉選びや筆運びが否定されたのではなく、自分の人生で見聞きしてきたものが全部取るに足らない戯言だと言われた気がしてならなかった。

 

 

私はあくまで巫女のような仲卸のようなモノで、私のコトバは私のモノであって私だけのモノではない。

 

皆んなから託された傷や光や信念や命をワタシが代わりに引き継いで背負って生きてる、と頭を使ってシナプスがパチパチする間もないくらいには肌で理解っている。

 

 

だから皆んなごめん、と思った。

あの景色もあのコトバもあの表情も、私という媒体を通して皆んなが遺したかった事を、私はうまく著せなかったらしい。不甲斐ない。不甲斐ない不甲斐ない不甲斐ない。

 

 

 

 

だってそんなわけないんだから。皆んなが血の涙を流した記録が取るに足らないなんて事は“絶対に有り得ない”んだから。

 

(皆んなの中にはワタシという個人の見聞のストックも勿論含まれている。)

 

 

 

 

私はずっと世界がふたつ(少なくともふたつ)ある間に横たわる綱を両手でバランスを取りながら辿々しく足を運んで生きてきた。

 

 

それは文字通り、普通の心と身体でコネクトする世界と、ココロとカラダに変換された自分で立ち入る領域と『本当に』ふたつあるのだ。

 

 

 

 

 

私はどちらの世界の住人もどちらの世界をも恨まずに踏み躙らずに存在して欲しい、と思っている。そして私はそのふたつにお邪魔する事が許されている。

だからこそ、A面にはB面の、そして逆も、背景と文脈を伝えてこれ以上世界が乖離し続けて離れていくのを防ぎたい。

 

そのふたつが千切れる時、目を覆うような流されなくていい筈の血がたくさんたくさん流されるのを識っているから。

 

 

 

 

 

 

   

 

この前の7月19日、野方駅から高田馬場、池袋、宇都宮、黒磯、新白河、そして地元までの長い夜の電車の中で私は額になにか青くて円い印を彫ろうかな、となぜか自然に思った。

 

刺青は願いであり祈りでありバリアでもある。

 

 

 

私をこれ以上蝕むモノがこれ以上私を通して私の出会った人たちをも食い荒らす事のないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

幼少期は、【顔と骨のない、私を愛してくれた父】が在なくなってから祖父母の退職金で建てた山奥の家に母親と二人で暮らしていた。

 

だから私は子供がただでさえ親をセカイだと認知してしまうように、余計に母親と祖父母と事情を知って世間から守ってくれる従兄弟たち、親類みんなに囲まれてある意味で滅菌され過ぎた温室で育ってしまった。 

 

祖父母は油絵を描くので、紙芝居より大きいくらいの画集がたくさんある家で、私はひとりでクレヨンを使って模写をしたり、家の庭に冬の朝やってきた狐の親子を眺めたりして過ごした。

 

傷つき過ぎた者たちが静かに息を潜めて肩を寄せ合うその空間は、あとで17歳になって初めて閉鎖病棟に入った時に懐かしさとして私に降り掛かる事になる。

 

 

 

 

 

この前、院外外出を手伝ったのは三人目の父親で、今でこそやっと親子のように笑ったり冗談を飛ばす関係になったが、私が五歳の頃はまだ難病と精神病に静かに侵食されている途中で常に苛立っていたし、兄の髪の毛を掴んで身体を殴ったり、私の作ったご飯を目の前でゴミ箱に捨てたりしていた。沙羅、という名前は怒声と共に耳に入る以外の用いられ方をされなかった。

 

でも、私が小学校高学年の時についに倒れて、そのまま現在に至るのだが、医大ICUで何度も死にかけて主治医に私たち家族は呼び出されるわけだが、その何処でかは知らないが、父は昔の自分の振る舞いの記憶がまるで消えて思い出す事ができない。

 

私はかつて自分を苦しめて幼稚園児ながらにアイロンで手を焼くくらいに追い詰めた父を見て、爪が食い込んで血が噴き出すほどに握りしめた拳で今なら痛めつけられる状況に立たされたわけだけど、まだ若いのにオムツをつけて酷い褥瘡が膿んで骨まで丸見えになった臀部や、たくさんの管に繋がれた細すぎる体躯や、皆から器用だと褒められた指先が壊死して真っ黒になっているのを見たらもうなんだかすべてどうでもいい気がしてしまった。

 

痛い、痛い痛い、可哀想。

私は栄養剤をゼラチンで固めた薄いピンクのゼリーをパパの口に運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中にはたくさんの言葉が沈殿していて、少し体を揺らしたらスノードームみたいに舞い上がって散り散りになってまた静かに沈殿する。私は小説を書いてるというより、自分の頭を移植させてメモリーを増殖しているという表現が近い気がする。そうすることで、私という個体が背負う重さが減った気がするから。

 

 

 

私はかるくなりたい。言葉の海で溺れるのは、いやだ。

私の躰と溶け合ったそれらはもう私の一部だから善でも悪でもない。

もう私の胎の中では私に傷をつけることはない。

 

私と同じような目に遭ってしまった人のいつでも話せる友人のような文章を残しておきたい。私と同じ目に遭わなくて済むようにうまく迂回するルートを皆んなが私の中に一瞬潜って鍵をとってこれれば良い。私のような人間を、健が斬られてるのを良い事にもっと死体蹴りするような人が、私の言葉を通してみんないなくなればいい。

 

悪はどこまで追いかけてもいつも捕まえたその先にある。こいつが、と思っても結局それも悪に巣食われた側であるだけで。

 

自分が無謀なことを考えているのも分かっているつもりだが、かと言って唯一しがみついてるこの場所から手を離すつもりは今は更々ない。そうやっていつもネジをきりきり巻いて、自分の手によって自分が軋む音を聞く。でも他人に明け渡して分解されて捨てられるなんて許せないので、私はやっぱり今日もネジを巻く。