二月十八日更新
僕たちは必ず間違えつづけていく。その繰り返しの果てにいったい何があるのかは分からない。どれほど念を入れてありとあらゆる「正しい向き」を頭に叩きこもうとしても、次の瞬間に僕たちの体は百八十度旋回して手を伸ばそうとした瓶の向かいの缶の蓋を開けてしまう。いつだってそうだ。
僕には決して耐えることができないものが三つ存在する。僕の人生は言ってしまえば退屈と孤独と空腹から如何に効率よく、そして完全に逃げ切るかという運動の終始でしかなかった、と最近は思う。三つに切り分けたそれぞれの苦しみの色や形や手触りを、いろいろな人たちが僕に教えてはやがて去っていった。それらは決して自ら進んで教えたくなるような代物ではなかったのだろう。そして、その忠告を与える対象は、選り好みなんてしている状況ではなかっただろうが、きっと必要不可欠な存在だったのだろう。
そうして僕はいくつかの人生訓を抱えながら17歳になった。
「知らなかった、あなたってピアノが弾けたの?」
「ええ。実は昔からずっとピアノを習っていたのよ、家のすぐそばの小さい教室で」
坂本スミレは遠慮がちな調子でクラスメイトからの質問に答えると、楽譜を持ち上げてもう一度折り目正しく紙を癖づけた。その会話が実際にあったのは確か学校で行われる合唱コンクールの準備期間のときだったと思う。僕はほかの男子生徒たちと一緒にピアノやその周りに群がっている女の子を眺めていた。僕たちの学校はとりわけ音楽に力を入れていて(そのほかは一般的な公立の平凡な学校でしかなかった)、合唱部や管弦楽部に関与している生徒や教師たちはちょっとした身分だった。坂本スミレはそのどちらにも所属しておらず、学校生活とは関係のないところでコツコツとピアノを弾き続けてきたようだった。
「私たちのクラスは坂本さんしかピアノが弾けないみたいだから、伴奏者を選ぶためのテストもないし......ともかく、一人きりなんだから穴をあけるようなことはしないでね」一人の合唱部の女の子が言った。
僕はバス・パートのしるしをつけた手元の譜面と、坂本スミレの着ている皴ひとつないジャージを交互に見つめた。
形だけの文化部に所属している僕は、おそらくは学年の誰よりも早く下校している。僕の前を歩く学生鞄を背負った人間にはまだお目にかかったことが無かった。最初のうちはなんだか後ろめたい気分だったが、そのうち当然のように運動部の生徒が練習するすぐ傍を通って家に帰ることができるようになった。ときどきはテニスボールやら蛍光色のビブスやら乱暴に置かれただれかの水筒なんかに躓きそうになった。
入学して驚いたことの一つに、学校の周りを取り巻く騒音というものがあった。すぐ目の前を、むかし軍用道路だったという大通りが駅まで走っていて、試験中だろうが抜き差しならない説教の最中だろうが、救急車はヒステリックにサイレンを鳴らし、通行人は大声ではしゃぎ、車たちはウインカーがわりにクラクションを殴り続けた。
当たり前の話だが、二年生も終わりに近づいていた僕は家と学校の間にある道すべてにすっかり飽きてしまっていた。目を瞑ったって歩ける。道を変えても同じことだった。
僕には仲の良い親友と呼べる人間は殆どいなかった。隣の隣のクラスの黄出という男だけが僕が友人と呼ぶことのできる貴重な存在だった。なぜ、僕たちは友達になったのだろう?授業のクラスも委員会も、出身学校も僕たちはどれも違っていた。けれど、最初に二人で遊んだ記念すべき日付を僕はしっかり覚えている。それは花見の季節だった。僕たちはそのとき、地元では一番大きな神社の周りを散歩していた。一年生の終りがけの、もう一年くらい前のことだ。
「俺は自分の名前が大嫌いなんだ。こんな名前、どうやっても受け入れることはできないだろうね。どこに行こうが自分に付き纏うものを許せないことほどやるせないものはないな。親のことは好きだが、この言葉を名付けたことだけは正直言って恨み続けてるよ」黄出がいつも言っていたことだ。
「由来は?」と僕が尋ねたことがある。
「親が好きな画家の作品の題名だよ」黄出はそう言った。
「そうか。でも、悪気はないんだろう?」
「悪気があったら潔く殺しているだろうな」
僕には黄出の下の名前がそんなにおかしいとは思えなかったが、黄出の言い分には確かに一理あった。
僕たちは、花見の日から頻繁に会って話すようになった。僕はそのことを嬉しく思った。世の中にはいくら時間をかけても仲良くなれない奴もいれば、顔を合わせた瞬間から仲良くやっていける奴も存在する。ある日、下校中に雹が急にたくさん落ちてきたことがあった。その日はなにか都合があって全員が同じ時間に帰路についていたので、僕のすぐ後ろにも真新しい制服を着た生徒が歩いていた。僕たちは降り出し始めはそれぞれフードをすっぽり被ったり傘をさしたりしてやり過ごそうとしたものの、もうこれ以上は酷くなれないという暴力的な領域に差し掛かると、どちらともなく歩を進め他人の家の軒先で身を寄せ合った。
「君も一年生?」とまず僕が尋ねた。
「そうだよ。あとほんの五十メートルもすれば家があるんだけどさ。」その子は悔しそうに道の奥に見える黄色の壁を眺めながらそう言った。
僕たちは家の方向が途中まで同じということもあり、また今度一緒に帰ろうと口約束を交わして別れた。
それから彼の背中を見つけることができたのは全校集会で集められた体育館の中でだけだった。
僕には当時、自分の将来など当然見えていなかったけれど、間違いなく心温まるものが僕を迎えに来てくれるという確信があった。いま自分の周りにある現状はきれいさっぱり僕自身の努力で消え去り、あとはまっとうな一人暮らしを楽しんだり、大学に進んで素敵な恋人と出会ったり、スーツを着て胸を張って仕事をして暮らしていくことはなにも夢物語ではないと思っていた。良い時代だったのだと思う。あの頃は自分で拵えた幸福な暗示にすぐ体を馴染ませることが出来た。あるいは、そうでもしなければ生き残れないような時代だったのかもしれない。
僕は図書館に行くときにはだいたい半日は迷い続け、それからやっと重い腰を上げて自転車に跨った。母親はよくその図書館の悪口を言っていた。僕もそれについては同感だった。設計当初は腐るほど金があったのだろう、実際に機能している空間よりもずっと、壁や天井や階段はぶ厚く、硬く、そして大きかった。入り口にはウイルスのような形に固めたコンクリートの作品が設置されていて、その大きさのおかげで光の殆どは館内に入り込む前にその影のなかにすべて吸い込まれていた。図書館の中はいつも黴の匂いがして、夏の昼間でも蛍光灯が真上に無ければ字が読めなかった。蔵書はどれも致命的に古びていて、ページを繰った拍子に留め糸が千切れて床に落ちることもあった。もちろん掃除は行き届かず、いつも埃たちがぼたん雪のように舞っていた。
そんなわけで、学校の図書館を使わずにわざわざこんな場所で本を借りようとしている坂本スミレの姿を目にして僕はかなり驚いた。それでも、貸出カウンターの列の前のほうに見える後ろ姿は間違いなく彼女のものだった。
きわめて邪魔な石の塊が無い裏口に回って駐輪場に出ると、そこには坂本スミレが立っていた。僕たちの学区はここから歩くのには少し遠すぎるのだ。
「やあ」と僕は挨拶した。
「こんにちは」と彼女が言った。
黄出とスミレが付き合い始めたのは、やっぱり僕にとってかなりの驚きを伴う出来事だった。僕たちはよく三人で黄出の広い家に集まって遊んだ。彼らは随分うちとけていて、おそらく誰の目からも落ち着いた素敵な恋人同士に見えたことだと思う。僕たちは特に約束をするわけでもなく毎日のように一緒に放課後を過ごした。三人でボードゲームをしたり唄を歌ったり、宿題を片っ端から片づけたりした。
黄出はおそろしいほど絵のうまい男だった。黄出は僕の所属する部活の次に休みが多い美術部の次期部長候補だった。ある空間に黄出の絵が飾られてしまうと、それが廊下であれコンクールの展示場であれ、周りの作品たちはみんななんのために絵として生まれてきたのか混乱しているみたいに見えた。二度ばかり、僕と黄出は表彰式で隣に並ぶことがあった。黄出はその時々で歯の健康の啓発だったり、自画像や郊外のダムの有用性や近くの大学のマスコットキャラクターの絵に至るまで色んなコンクールに応募しては大きな賞状と引き換えていた。僕の方は、学校の名誉のために生まれ落ちた主任の女教師に要求されてたまに作文を書き、彼女が素晴らしい校正を果たしたときにだけ表彰を受けた。壇上で僕が緊張していると、黄出はいつも僕の詰襟を直して軽く背中を叩いてくれた。
黄出の部屋には今までもらった賞状が机の上に積み重ねられて置かれていた。分厚い紙もあれば、光沢のある紙もあった。
「どこかに仕舞ったり額に入れたりはしないんだね?」
僕がそう言いながら一枚一枚紙をめくっていると、黄出はよければ好きなものをひとつ持っていってくれ、と僕に言った。このままでは陽に晒されて変色していくだけだと思い、僕は一番上の紙を取った。今にも泳ぎ出しそうな達筆な字で黄出の名前が記されていた。
僕は昔からよく異常な夢を見た。たとえば、熱を出す時には毎度枕元に誰かしらが現れて耳元でなにかしゃべりかけてきた。とても背の小さな少女が僕の布団の周りをはしゃぎながら駆けまわったり、冷たい感じのする女が大男と協力してシーツを引き摺って、僕のことを床に落とそうとしたこともあった。そのほかでは、夢の中で食べるものにはちゃんと相応の味がしたし、誰かに傷つけられると相当の痛みを伴って鮮やかな色で出血さえした。雪山で遭難したときには寒さで指が引き千切られるように痛み、起きてからもしばらくそれは続いた。
その日、僕の体は意識が目醒めたあとも全く動かなかった。ぴくりとも動かない。動かせるのは目の周りだけだった。必死になって瞼に意味不明な図形や線がはっきり映るくらい目を開けたり閉じたりしていると、段々と呼吸が荒くなっていった。そのうち僕の意識はひとりでにぼんやりと浮かぶ図形の示すものを読み解こうとし始めた。突然、僕はその奇妙な模様が蛇の顔であることに思い当たった。その瞬間、喉の奥の方が力いっぱい絞めつけられたみたいに急に狭くなった。こめかみと腹のあたりには次から次に大粒の汗が噴き出した。僕は鼻腔が閉じてしまうほどに大きく息を吸いこむと、間髪入れずに瞼を思い切り開いた。そのとき僕の瞳は天井にまでびっしりと敷き詰められた蛇の斑模様とその目を捉えた。僕の耳は飛行機のジェットエンジンのように爆音で音を立てる鼓動をずっと聞いていた。
やっと体が自由を取り戻したとき、時刻は午前八時三十分を少し過ぎていた。平日であれば遅刻は免れなかっただろう。僕は椅子の背にかけてあったバスタオルをひったくって、シャワーを浴びに風呂へ行った。三十分くらいかけて、ぬるぬるする汗を洗い流した僕は、部屋に戻ると床に落ちていた黄出の賞状を拾いプラスティックの画鋲で壁に留めなおした。
僕たちのクラスは八クラス中、四位の成績で合唱コンクールを終えた。
春になると、僕と黄出とスミレは三人で神社に花見に行った。その頃になるとスミレは僕側から隠れるように黄出の背後に回ることはやめて、だいたいは僕の右、黄出の左を歩いた。それでも、道が狭くなるようなことがあれば二人は何も言わずに後ろへ下がり、僕が一人で先頭を歩いた。春の街はなんとなく全体的に薄い黄色をしているように見える。そして空気は乾燥し、手を出して指を擦りあわせると、その溝に目に見えないほど細かく挽かれた粉が溜まっていくような気分がする。じっと左手を見つめ続けるうちになんだか去年とは何もかもが変わっていってしまったような錯覚に陥った。僕は今すぐ雪が降り出すことを期待して西の方を眺めてみたが、残念ながら雪雲はもうとっくにどこかへ行ってしまったみたいだった。
三年生になり、教室の場所が変わり、靴箱の位置が去年よりも使いづらくなった。僕は三年の春からは本腰を入れて勉強することにしていたため、黄出の家に行くのは金曜日の放課後だけにした。当時の僕はまさしく勉強こそが生きがいであるという暮らしぶりだった。学校では教室の一番前の席で熱心に話を聞き、質問があればその日のうちに職員室まで詰めかけて解決した。休み時間になるとノートを開いてぶつぶつ独り言を言いながら復習をした。学校が終わると家族の危篤を知らされたかのように大急ぎで支度をし、帰り道では参考書を片手に歩き、赤信号で立ち止まると簡単な問題に取り組んだ。なぜそんなにも集中できたのだろう?僕はあの頃いったい何を考えていたのだろう。当然、僕の成績は受験を前にしてどんどん揺るがぬものになっていった。教師たちは皆、僕が県で一番の進学校へ行くものだと思っていたし、僕もそれになんの疑問も感じなかった。今の僕はあの頃の日々をほんの少しだけ思い出すことが出来る。日当たりの悪い団地の外廊下に面した部屋で、毎朝午前四時に起床し、ラジオをつけて肩から毛布を被り、ぼんやりとした灰色の光の中でペンを握りつづけた。机の隅のほうに一斤の食パンを置き、腹が減ったり集中力が落ちてくると碌に目もくれずにちぎり取って口にいれた。夕方、学校から帰宅しても部屋は早朝と何も変わらず灰色だったのをおぼえている。他の住人が廊下を歩く音や烏の鳴く声のほかに変化と呼ぶべきものは何もない日々だった。
その頃生活していた家のことを時々懐かしく思う。僕と母と妹が住んでいたのは三階の部屋で、その集合住宅は道路に対して平行に棟が伸びていた。ベランダからはちょうど向かいの家の屋根から上の部分だけが見えた。幾重にも交差する黒黒とした電線の隙間に、遠くの住宅街やショッピングモール、高校の野球のグラウンドがのぞいていた。そこには、実際の人影はなくとも間違いなくだれかの生活のあたたかみが宿っていた。冬になると、家の屋根たちは五センチくらいのささやかな降雪を受け止め、僕が少し腰を屈めると景色のすべてが境目のない真っ白な湖のように地続きになって見えた。ベランダから道を見下ろすと人々の頭頂部や自動車のボンネットが見えた。それほど距離はないのに、誰も僕の存在に気づく人はいなかった。僕が好きだったのは、斜向かいのアパートの一階部分にある英語教室を出たり入ったりする子どもたちを眺めることだった。それを見ている間、僕はいつもほんの少しだけ幸せな気分になった。
受験を前にして、僕たちはまた三人で集まって勉強をし始めた。示し合わせたわけではないけれど(少なくとも僕は二人と志望校について話し合ったりはしなかった)、僕たちはどうやら高校でも顔を合わせることになりそうだった。スミレは一年生の時から熱心に塾に通い几帳面に課題をこなしていたし、黄出はまた然るべき努力の下敷きを経てまっすぐに泳ぐことを得意としていたから当然なのかもしれなかった。
その年で一番の冷え込みになり、降雪もまた一年で最も激しくなる頃、僕たちはそれぞれ受験票を持って教室に入り、結果としてその高校の中で今後3年間身を置くことを許された。合格発表はスミレの母親の運転する車に全員で乗り合わせて見に行った。その事で僕たちは随分と色んな人に心配されたり、水を差されることになった。仲違いをしたくてそうしているという風にしか周りには映っていないようだった。所々が欠けたベニヤ板に貼り付けられた白い紙に番号を確認した後、僕たちは点数を聞きに行きそれを報告し合った。スミレが一番得点が高く、次いで僕、その二点か三点下が黄出の点数だった。
僕にはいつからか自分は必ずどこかで大規模な家出を遂行するだろうという予感があった。
僕とスミレはまたしても同じクラスで、黄出は隣の校舎のクラスだった。中学では僕は殆どいつもくじ引きを辞退して、誰もなりたがらない最前列の席に座り続けたので、授業中にスミレの後ろ姿を見るのは恐らく初めてだった。
スミレは耳と耳を繋いだくらいの高さに髪をひとつにまとめ、コーヒーブラウンのブレザーに背骨がぼこぼこと浮かび上がるくらい机に齧りつき、まちがいなく教室の誰よりも熱心に授業を受けていた。日によってその背中は紺のセーターだったり、薄い黄色のシャツに変わった。スミレが勉強へ熱意を傾ければ傾けるほど、僕の内側で急速に何かの熱源が冷えていくような気がした。じっさい、僕は入学してから以前のように勉強することが叶わなくなっていた。相変わらず自分で吹き込んだ問題文をイヤホンで聴きながら登下校を繰り返したものの、僕にはもう自分の声の掠れ具合や唇同士がかさついて立てる耳障りな音しか聞こえなかった。僕は時々何もかもが嫌になり、休み時間になると自転車に乗って勝手に学校を出て行ったりした。遅刻をすることも増えた。食欲が無い割に、食事を摂らないと直ぐに具合が悪くなる僕は、講義に合流する前に廊下の自販機で軽食を買い、それを口に詰めながら扉を開けて一番後ろの席に座ることが日課になった。全ては、自分という笑ってしまうくらい脆い存在を勉強という行為のみに支えさせた僕の責任だった。これまでに僕がやっておくべきだったことは何一つ見当違いだったのだ。放課後の掃除の時間だけが僕の輝ける唯一の場と言って良かった。
「あなたに話があるんだけど。」
スミレが僕にそう言った時、僕は図書室の入り口のサッシを指で引っ掻いて集めた埃を右手で摘み上げたまま、ほとんど蔵書の並んでいないすかすかの本棚を眺めていた。
「なんだろう、僕の掃除の仕方でも悪かったのかな。」
僕が振り返ってそう言い終わる頃には、彼女は手際良く他の生徒たちと協力して掃除道具をロッカーに詰め込み、教室へと戻る外廊下を颯爽と歩いていた。
「あなたは、自分が普段他の人たちにどれくらい負荷を与えていて、それでも誰も何も言わないことに関してどれほど感謝すべきことなのか、知ってるの?」
放課後になると僕たちの教室は軽音学部が使用することになっていた。僕とスミレを残したまま、教室は揮発性の無邪気さと初心者用のギターだとかベースを肩から下げた生徒たちの広場になってしまった。
何も弁明しようとしない僕を見るスミレが大きな焦茶の瞳の中に遣る瀬無い怒りを隠せなくなっていくのを僕はぼんやりと他人事のように眺めていた。しかし、胸のあたりでは何か体内にあるべきではないものが肺の中いっぱいにせめぎ合っているような気持ち悪さが渦を巻いていて、僕は今すぐにでもその場に吐き出してしまいたくなった。
「悪いけどここ最近の自分については僕には何も言えないんだ。うまく言えないとかじゃない。本当に何も言いようがないんだ。それに、僕がもしここでどんなに誠意をこめて君に何か語ることができたところで、君は僕を徹底的に、公正で正当な軽蔑をした後で二度と僕を友人として見做さないことに変わりはないだろう。」
僕はだいたいそのような事をスミレに伝えた。もしかしたらもっと長くて回りくどい話し方をしたかもしれない。
夏も終わりに近づいていたその日の帰り道で、僕は自転車で坂を下る途中、確かに桜吹雪を見た。その奥に見える桜の木は花弁の白さと競争するように体を墨のような決定的な黒に沈めつつある最中に見えた。錆びついたサドルが凸凹道を通るたびに二センチか三センチくらい沈んでゆき、帰宅した頃にはもう一度ねじを緩めて直さなくてはいけなくなっていた。
僕はよく喉の奥から空気の塊が上がってきて、それが静まり返った体育館の中で大きな音を立ててしまうので全校集会やら学年集会がとても苦手だった。そういう時は息を止めて肩を強張らせてじっとしていなくてはいけない。僕のその喉の癖は未だに治っていない。なるべく意識を逸らすために片っ端から目に映るものを注視する方法で60分だとか90分だとかを乗り切っていた。僕は一度も話したことがなくても、誰が床屋に行って髪を切ったのかや制服のサイズが若干合っていないのが誰なのかも全部把握していた。校長のシャツの種類だって覚えていた。体育館の床には所々が捲れ上がったカラーテープが縦横無尽に貼られていて、ワックスが変に固った場所や何かの擦過痕はまるで琥珀のように照り、校歌を刻んだ板は二番目の歌詞の歌い出し部分がほかと比べてずっと黒ずんで見えた。
海を一人で眺めている。家を出たのが午後四時を過ぎた頃だったので、元日の空いた車内からは夕暮れがとてもよく見えた。僕が目指している駅に向かう列車まで乗り換えの時間があり、本を読んで車酔いしている間にすっかり日が落ちて辺りは暗くなっていた。外の景色が黒だと、自分の座標が余計わからなくなってさらに酔いが酷くなった。無言で手を繋ぎ二人でそれぞれ違う天井をじっと眺めているカップルや、手に大きな紙袋を持った三人組の親子と一緒に目的地に降りると、海岸まで歩いた。なにか看板があるだろうと思っていたが、そんなものは一つもなく、とにかく僕は駅に向かって集まってくるバスの逆方向に歩き出した。街はアーケード付きの商店街があり、時々店を開けている飲食店が目に入った。イタリアンレストランやインド料理屋の中は窓が曇るほど人で溢れていたが、海の近くの寿司屋では客が誰もおらず、職人らしき老人は半ば投げやりな格好でテレビを見ていた。道はどんどん細くなり、途中で何度か鋭角に曲がっていた。本当に迷い込んでしまったのではないかと焦り始めた頃、急に靴の先がやわらかな砂を踏んだ。道を潜って砂浜に出て後ろを振り返ると、あちこちにレストランやアパートが点在しており、緩やかな弧を描いてその前を道路が走っていた。ついさっきまで波の音は全く聞こえなかったが、突然それが聞こえてきた。前方にはやたらとゆっくり明滅を繰り返す灯台の赤い光が見えた。僕は波に向かって歩いていくと、そのうち砂と砂の間にうすく水が張った一つの大きな鏡面のような地面に変わった。引き潮に合わせて波は少しずつ後退し、時々なにかの気まぐれのような早い波が僕のズボンの裾を濡らした。砂浜を横断して歩いていると、途中で二人の人間とすれ違った。一人は胸のあたりに懐中電灯を下げた褐色のジャンパーを着た中年のように見える男で、もう一人は灯りを持たず大股で歩く若そうな男だった。僕はなぜ海を見るためにここまで疲れながらやってきたのか考えてみた。それは少年時代に海沿いの街で暮らしていることと関係がありそうだったが、その街に引っ越す前から僕は海に対してなにか大きな期待を寄せる癖があった。しかし、僕のときどき抗えなくなる海への希求はほかの何かに対してそう思うよりずっと救いがあるように感じる。だいたい3時間か4時間も費やせばどんなところからも大抵は海に出ることができる。濡れた砂には動物の足跡が残っていた。陸に向かう方は砂が渇いているせいで、足跡はまるで海から何者かが上陸したあとのように見えた。いま突堤に座り込んでこれを書いている僕の前には僅かな街の光や船の灯りもない薄い墨色の海が広々と横たわっている。僕の住んでいた街では、海を眺めると必ずどこかしらにクレーンや漁船や船着場が見えた。
しばらくしてから沿岸の反対方向まで歩くと、小さなガラスや貝殻の欠片が靴にサラサラと音を鳴らしながらまとわりついてきた。目が悪い僕は気が付かなかったが、さっきいた場所から遠く離れると島の陰にたくさんの対岸の街の明かりが集っていた。船の灯りらしいものもいくつか海には浮かんでいた。僕は砂の盛り上がったところに座り込み、空が地面で地表が空だと思い込んで見ることにした。首を傾げながら、なんだかその方がずっと決定的に孤独であるかのように感じた。
帰り道では再び住宅街の迷路に迷い込んだ。来た時とは違う道を歩こうとしたせいで、僕は蛇腹のように大きく聳え立つ家々の間を歩いた。途中で何人かの老人とすれ違った。彼らこそがきっとこの巨大な家の持ち主なのだろう。駅へ抜ける通りまでやっと辿り着くと、僕がすれ違った老夫婦が交差点で信号を待っていた。夫婦共に髪は白髪で、あたたかそうなダウンを着ていた。二人は手を繋ぎながらゆっくりと散歩をしていた(なぜ先ほど逆方向に歩いていた彼らと今同じ地点に立っているのか僕には最後までよく分からなかったが、何せ道が入り組んでいるのでどこかで折れ曲がっていたのだろう)。僕は束の間彼らの後ろを驚かさないようにゆっくりとついて歩き、交差点を渡ってから先頭になって歩いた。夫である男性がおそらく彼らの子供のことを妻に語っているのが聞こえた。娘らしく、40歳くらいで致命的な精神的苦痛を2回味わっているらしく、彼らはその彼女のことをゆっくりと話していた。僕は彼らの皺だらけの繋いだ手を思い出しながらあまり離れ過ぎないように歩いていたが、突然彼らの声が途切れたので少し経ってから振り向くと、路上を折れてまた海の方へ二人は進んでいた。僕は道の向こうに渡ってから彼らの入った路地まで戻り、二人の肩が小さく揺れるのをじっと眺めていた。
どこにも移動が出来ないんだとしたら、僕は自分の中にいま地図を作ろうと思う。体に引き摺られてもうどれも見境なく塗られてしまっていても。そして僕がずっと拾ってきたのは遺物だと認めよう。母が起動して。悲しみは生理学以外の割き方をしたって仕様もない。ただ鳴らしていいものだと僕がいうことを差し込んで欲しい。別に物語だと受け入れられなくて構わない。そのときそれは反復の箱になる、周期になる。すべてはずっと前に遅延している。射程に入らないから掌に収めてみた、もう何も聞こえなくたっていい。