あー君彼氏居ないの?ダメダメ、売れる子は常に彼氏いるから、と先日勤め先の社長の阿保面の男に曰われた。
さて、私の恋愛遍歴を振り返ろう。今は交際相手は居ないが虹彩が無いとは言わせないぞ、という堅い意志とともに。
まず私は酷い恋愛体質に冒されていた。2024年2月まで。
テンプレに抗って最新から振り返ろう。
Uくん(当時29歳)
職業:デザイナー
U君は去年(2023年)に私が東京で絶賛⭐︎ホームレス生活をしていた時に宿探しに入れていたマッチングアプリで知り合った。
Instagramの投稿がとても「良い」とずっと思っていた。彼の家に居候しようとしたがタイミングが合わず、U君も引っ越しがあったりで連絡先を交換してから半年以上後にようやく会えた。
彼のおかげで滑り込みクリスマス独り身回避を行うことが出来た。
一緒にセブンに駆け込んでケーキを買って楽しかったね。年賀状を代筆して彼の仕事先に書いた。一言くらいは自分で書いたら、と言ったら会社と社会を書き間違えて壮大な抱負を書いていた。
元旦から壮大な巻き込み事故を起こしてしまい、私は本当に久々に誰かを自分の瑕疵で損ねてしまったと思った。
今も連絡は偶にとっている。そういえば元彼で今も話す人は多いな。
T君(当時26歳)
職業:俳優兼照明
私の勤めるお店にお客さんとして来てくれたのが出会いである。私が席に着いた時に、演劇の話で盛り上がった。私は小学生の時に「二十四の瞳」の小豆島の昔の歌舞伎座でマスノ役をやっていたり、ガラスの仮面を読んで俳優を目指した事があったり実はそういう過去がある。
私は日本中に荷物を両面宿儺みたいに分散させている(元彼Kによく揶揄られる)のだが、その回収に仕事のデカいハイエースを飛ばして県を跨いで手伝ってくれた。
偶然会おうとした時に板橋区の隣の町に居たのが面白かったね。
京都に発つ前日に歌舞伎町に宿をとってくれて、米津玄師の感電を二人ででかい声で歌いながらドンキで煙草を何種類も買った後歩いたね。
京都に私が行ったのに困ってる事があるとすぐ助けてくれた。SOSの5分後に口座に必要以上に振り込まれていたり、歌舞伎町のレンタル倉庫をクレカのない私の代わりに毎月高いお金を肩代わりしてくれた。ホームレスしながらそれを完全に封印してキャバ嬢をやるのにどれ程救われたか分からない。
去年の10月頃、私が過去と違って病んで自殺未遂ではなくフィジカルで死にかけていた時、あろうことか収監されそうになったので助けを求めた時も、
「東京に戻ってマンスリーマンションでも借りて一緒に暮らそう。だから死ぬな」
と言ってくれて何処までも善い人だなと思った。
でも私が一番印象深いのは背後が怖くて書けないけど私が◯◯◯の話を出した時に、あの返しをしてきた時は痺れた。
H君(当時25歳)
職業:ホスト
正直この人を加えると多方面から馬鹿にされたり見下されたりしそうだが、(例:ホストの彼女なんてただの育てだよ!)まあ少し聞いて欲しい。
ホームレスの話どんだけ擦るんだよと思われそうだが、真夏のホームレスは本当に辛くて、なにせ仕事場に隠すのが大変だった。
それに現住所が無いと二進も三進も行かない。
その為、彼の家が3LDKだった事もあり夜職2人で生活リズムも同じなのでシェアハウスをしていた。
池袋駅でデートしていた時に、駅の構内で握手をしながら交際を開始したのが始まりだ。
凛がのちに私とH君の家にやってきて、H君が留守の間に注射器を見つけて警察を呼ぶと言い出したので、誰がクスリをやっていようが家が無くなる方が困る私は凛と大喧嘩をした。
結局、通報を私自身がして(凛に受話器を持たせるのが怖過ぎた)警察が深夜家にやってきたが僕たちも忙しいんで現行犯でも無いし〜みたいななあなあになって終わった。職務の怠慢に救われるとは、複雑。
別れた理由は、H君とは別にY君という(H君の勤め先の系列の本店のホスト)と歌舞伎町で同棲をしていたのだが、
Y君は週に半分程の帰宅だった事や、全く男女の関係にならない間柄だった事、私がH君との関係を切ろうとしてた事などの理由で私が断りなく合鍵を両方持っていた事案がバレてバースデーイベント後で悪酔いしていたY君とH君が殴り合いになり、
私も殴られ絵に描いたような修羅場を迎えたので終わりにした。
A君(当時22歳)
職業:プログラマー
A君は途中から転学した通信制高校の先輩に当たる。我々は界隈が被りそうで被らなかったのでお互いの存在は認知していなかった。
しかし、元彼のK君がA君と親友だった為、みんなで共通のメンタルクリニックの近くで待ち合わせをして会った。
A君は超絶ADHDで、超絶ADHDの私と同棲するまでかなり最高の関係だったが、知り合って2年後に同棲した瞬間に全てが崩壊した。A君はなかなか説明がハイコンテクストな性格をしており、正直言って書くのが面倒くさい。
いつかもう一戦交えようとK君を介して確認が取れたが、彼は「さらたん」を恐れている。
まあでも、6月9日に前祝いとして急に家凸したのに中野駅の夜まで開いている店でホールケーキを即座に予約して、高田馬場から歩いてスーパーを梯子して白ワインを調達し、手作りの魚介のトマトクリームパスタを振る舞ってくれたのは物凄く感謝してるよ。
I君(当時33歳)
職業:依存症回復施設当事者職員
うーーん。人生で最長のお付き合いだったけど余りにも特殊だったんだよな。I君と私は施設の存続モク政略結婚の為の手札同士だったんだよね。
疲れたので一旦区切る。車にも酔った。
これにて元カレ魔界転生〜上〜とする。