まず、今回は純度「100%」の実話である。
前科で殺人という罪のついた女性に恋愛感情を抱かれていた事がある。
それはわたしがまだ10代だったある年の11月〜彼女が消息を断つ翌年の2月頃までだったと記憶している。
私は「殺人」という行為について「情緒が欠落している」人ではなく「童心に近い無垢な感情運動が見られる人」が行ってしまいやすい、といくつかの経験を通して感じている。
もっと噛み砕くと、「人間であればあるほど」「人道のど真ん中」の人が背負いやすい罪だよな、と思うのだ。
私の地元の都道府県に収監されていた彼女の身元引き受け人として、私が入寮していた施設から身元引き受けに向かったのが彼女と出会った最初の日だった。
(私が迎車に同伴していたのは、施設がついでに私の実家に経由して私を絶対退寮させないぞと念を押し、家族を遠ざけるためであった。)
新しい入寮者としての情報は施設で事前に出るのだが、みな前科が異色である事から難色を示していた。
私は【相手の生命活動を停止させなければ自分が絶対的に助からない】状況で、その意図のもと明確な意志で生命を奪う行為に及んだことがあったので、“未知”の経歴の人に対峙する恐怖は無かった。私も当時の状況が私の正当な防衛だと証明できなければ、尚且つ瞬間としてその目的が達成されてしまっていた場合、私本人も長期の刑罰を食らっていたかもしれないのだ、という恐怖はその代わりにひたすら感じていた。
刑務所から約十年ぶりに社会に出て、青空を全身で見て11月の東北の寒い風を受け、車に乗り込んだ彼女はひたすら【明るく】て【人当たりがよく】て、【傷つきやすく】て、【周りに怯え】ていた。
施設に到着するまでの4時間あまり、彼女はとにかくよく喋った。
文通で施設長とやり取りした以外に彼女は我々との関わりは無かったため、
彼女は見知らぬ人間4人と密室でのドライブだったのだと今思うとやけに明るく振る舞っていた彼女の姿が重なり、胸が苦しくなる。
施設に到着してから、彼女はミーティングと名のつく「独白場」で自分の経歴、過去を些細に渡って話した。
私たち入寮者は毎日朝晩2回、ミーティングを行う。いつ、どのような事をしたのか主に汚点や恥部を白状するのだ。薬物、犯罪、暴力、性的なこと、その他さまざまな社会的に良くない行為や言動を自らの口で順番で話す事が義務付けられている。
(パスもできるが、上に報告がいって後で尋問に遭うので滅多に誰もパスしなかった。)
T(彼女を便宜上こう呼ぶ)は、ミーティングの説明を聞いて、言いづらい告白であればある程施設のうたう「神なるもの」から誉められる事を他の入寮者が20人ほど話したのを通して悟っていた。
だから本来は平らかにいえば過激である程、自分の恥部をきちんと晒して、人々や神の前で罰や偏見を受ける勇気をもった、として上層部から評価されるのだが、殺害の内容を細かく話してしまったので咄嗟に時間の超過を名目に例外として【ストップ】が下りた。
刑務所生活が長ければ長いほど、
『場の空気を言われる前に正確に読んで無言のルールを見抜き、そこから逸脱しないように精いっぱい同調色に自分を慣らす』
事がどれほど大切か分かるというが、彼女はその重要さを痛い程途方もない時間をかけて揺るがない他者との接し方としてインプットされたからこそ、これから余生を過ごす施設に全力で馴染もうとし、裏目に出てしまった。
初めての特殊すぎる異様な施設での逃げ出したくなる緊張感のにじむ顔、そしてひさびさに社会という地面に両足を付けることができたTの全身がみるみるうちに絶望に染まるその様子を、私は自分の決められた位置の席に座りながらずっと見ていたが、自分もひどく苦しくなってしまい、心がすり潰される思いだった。
あの逃げ場も終わりも無い場所で私とTがお互いに心を開くようになったのは、そう思うと必然性を帯びることだ。
私のほかには、殺人鬼への怖さと興味の狭間でつねに彼女をコンテンツとして消費する者しかいなかった。
そこでは恋愛禁止もルールのひとつだったので、親密な友情は仲間の線を超えたように受け取られてペナルティを伴うし、まして恋愛感情を抱くなどどんな精神的・肉体的罰則が待っているか途方もない諦観が渦巻いた。
だから我々は施設の入寮者としての模範的な従者を装い、施設の小さな本棚に置いてあるなるべく大きな雑誌を選んでそれを二人で読みながらお互いのことを密やかに話し合った。
どういうふうにこの世界を見つめているのか、文字通り前も後ろも何もかもベタ塗りの真っ黒な絶望で覆われたお互いの今までの切り抜き、自分の中で生まれた「一生他者と本質的に分かり合えないこと」についてそれがどう培われ、育まれた悲しい普遍的な事実なのか。
あらゆる事を毎日何年も前のファッション誌や料理の雑誌を広げながら、あまり長くは1人の人と喋れないのでゆっくり日にちを辿りながら打ち明けあった。
私たちは年齢の差も40近くあったため、(当時わたしはまだ10代だったし)周囲は余計に奇異の目で毎日ひとつの雑誌を隣で一緒にめくる我々を見ていたが、そうやって三ヶ月が過ぎるころには段々とTに対する視線はゆるやかなものになっていった。
なにせ、ほかの入寮者も収監されていた者でいうなら何人もいるし、摂食障害と窃盗癖(クレプトマニア)を併発していたり、薬物の重い後遺症で顔が変形してしまった者など皆は皆で究極のマイノリティーをもつ当事者なのだ。
Tはだんだんと他の入寮者とも日常会話ができるようになり、笑顔を見せる数も増えていった。
私はとりあえず貰い鬱し過ぎるくらい感じていた苦しみが和らぐのを感じた。これなら、Tがこの施設で息を引き取るまで圧倒的孤独に押し潰されることは免れるだろう。
私は前よりTと話す時間も頻度もゆるやかに削って、またソファーの隅っこでずっと書き物をする生活に戻りつつあった。
ある日、私はいつものミーティングでいつものような罪や自己意識を刺激する題のなか、確かあれは「愛」についての日だったけれど、もう神への愛を誓うには何度も同じようなことを話してしまったし、「言いっぱなし、聞きっぱなし」で直接感想を言われたりジャッジされることも無いし恋愛に若干結びつけて話すことにした。
その時の一部分で
「私は他者と本当の意味での疎通や相互理解が叶ったという喜びを得ることが無常の幸せであること、そしてそこには確かに愛のようなものを感じるということ。
自分に対して同調され続けるより、相手の視点でどう世界を見ているかを知ったり、自分という存在が「理解」という目に見えないものに包まれることが誰かを好きになる条件でした、
今まで付き合った幾人かも振り返ると皆そういうことがとても深い場所でできた人たちでした」
みたいなことを話した。死ぬまで繰り返されるミーティングで、おまけに私以外は全員中年から高齢者ばかりだったのでどうせ誰もきちんと聞いてないこともわかりながら、つらつらと自分にだけ観客を定めるくらいの温度で話した。
問題はその数日後に起きた。施設でダンボールの積込み作業をしているときに、Tから「あれってわたしのこと、」とボソッと耳打ちされた。「あれ、って何だっけ?」「ミーティング。」
そこで私はあの語り方は婉曲表現すぎて確かにこれは直近だとTと自己開示し合ったことも理解によってはなんら不思議でなく該当することに気づいた。
「あれは元カレたちの話だよ〜」と真剣に尋ねてきたTの熱を激化させないよう茶化して言ったが、Tがきちんとその言葉を額面通りに受け取ってくれるとは思わなかった。
それから、Tは度々私の席へ来るようになった。そこで、実は自分はレズビアンなのだと告げた。
Tには結婚歴があり子供もいるが、なにせ彼女が刑務所に入った理由はえげつない方法で家族を虐待する夫をあちら側の世界に送り込んだ最初で最後の命への介入によるものなのだ。Tがもとから同性が恋愛対象だったとしても、その一件で男性性にトラウマを背負ったからだとしても、私はどうしようもなく異性愛者で彼女からの恋愛という矢印を素直に自分の中に取り込めなかった。
そして、恒久的なお互いの心地よい距離感の構築、まして精神的に大きな傷がある者同士では恋愛は要素としてリスキー過ぎるし、まずわたしが彼女にどうしても恋愛感情を抱いていなかったし、施設の罰則にもこれ以上ないほど盾ついてしまうことも分かっていた。
悩んだ末に、彼女に対して手紙を書くことを考えた。あまり長く話せないなかで丁重に向き合うべきことをきちんと伝えるにはこれしかないと思った。そしてなるべく早く軌道修正をかけなければいけない。なにせここは朝起きて目を開ければ絶望のどん底の檻であることも明白に分かってしまうほどの、特殊な場所なのだ。彼女が荷物をなるべく早く下ろすことがここで自殺した入寮者の二の舞にならずに済む。
私は焦っていた。相部屋なので1人になれる場所はトイレだけで、そこでひたすら文章を書いた。そして、私は何重の意味でもバカだった。
その日は1週間に一度行われる部屋チェックの日だということをすっかり忘れていた。コンコン、とノックしてドアが開いて二人のスタッフが入ってきた。私は書くのに夢中でトイレに響きにくいノックの音に気づかなかった。
「え、なにそれ、なんでコソ泥みたいに書き物してるの?」
「ぴる(私のアノニマスネーム、薬物依存の当事者が多方面で上層部を不快にさせそうなガキらしい反抗のもと、これにした)が書き物に没頭して入寮者とのコミュニケーションをサボってるのは色々報告は受けてるけど、これはもう異常だね」
そう言って、書いていたノートの切れ端とペン、ほかには筆記用具も瞬く間に没収された。
あーーーー、終わったな、これもう無理だ。終わっちゃったんだ、これから起こるのは最悪な悪魔の所業だーーーーーー。
私は手鏡を割って服から隠れる場所をめちゃくちゃに切った後、布団に潜り込んで寝れないまま朝を待った。
いつものように、朝七時三十五分。ゾロゾロと廃墟のラブホテルの一階部分に集まり一斤50円の6枚柄の食パンを配給されいつものように朝ごはんを終える。
朝食後の掃除では、片目を失明した50代の人の代わりにトイレ掃除とちりとりの役割を交換した。
10メートル先のコンテナ(作業所)に集まって朝のミーティングが始まる。
ガラッと扉が開いてブクブクと肥えた女性施設長が入ってきた。
「今日はまず仲間たちへの話があります。仲間の中で規則を破ったものが出ました。」
そして、ぴるーーーーーーーーっ!と施設長が自分の席に座る私を何十人もの前で怒鳴った。
「あんたの子供じみた恋愛ごっこなんてね、私から言わせればガキのおあそびよ、あそび。
Tの迎車の中にあんたがいたから誇大妄想してるんだろうけどね、あんたとTのあほらしい恋愛ごっこの手紙は本当に恥を知れ、恥を」
そう言って私が彼女に対する書きかけの手紙を音読し始めた。
そこには、Tが私に対してかけた言葉の記述もしていたため、みんなは私よりも10代の少女に気色の悪い恋愛モドキの思いを寄せていたTに完全なる落伍者の烙印を押した。私はTの顔どころか彼女座るテーブルすら見れなかった。彼女のなによりもやわらかで無垢な心を、潰せる限り潰した引き金を私が引いたのは紛れもない事実だった。
その後のミーティングはなにも覚えていない。何百回と再生されたヨガのDVDを15分流してダラダラとみんなが体を申し訳程度に動かし、長いセルフタイムがあり、昼食ではいつもの冷凍のワタミ弁を食べ、一本10銭くらいの花火の内職作業を何時間か行って、セルフタイムがあり、夕食の時間になった。
一階で集まり、だしやみりんの禁止された粗末な調味料で味付けされたちくわやらもやしの炒めたおかずを食べている時、スタッフの携帯がけたたましく鳴り響いた。察しはついていた。だが、私は思考を体から切り離すことにつとめた。
翌朝、ミーティングの席にTの姿は無かった。
「Tがいなくなりました。昨日の夜ごろ、シェアハウスで(廃墟ラブホと夜逃げ一家の大きな家を女性施設は寮として使っていた)担当の仕事をしている際から戻っていないそうです。」
そうやってTは忽然と姿を消した。
こんな茨城のなにもない場所で施設の外に出たところで生活なんて存在しない。
その日の夜、リーディングカードと呼ばれる神への誓いをミーティング前に音読している時、私はもう限界だった。
(リーディングカードの原本はいまもあの最果ての施設にあるのでネットから拾ってきた画像を載せる。)
これ以上他者にコンテンツのように消費されたくなかったので、毅然と読み上げていたのだが、途中から声が震えて、最後には嗚咽して泣き叫んでしまった。もうこの世界の反吐がでるような奴らに、どんな嘲笑いを受けようとも、おアツイ大恋愛の悲劇のヒロインぶってる、と思われてもどうでもよかった。Tが消えてもコンビニの不人気商品が消えたくらいの反応しか見せずに、いつもの通りバカみたいに空骸だけ進んでいくシステムが憎くて堪らなかった。全部壊したかった。パイプ椅子を持って静かで神聖なミーティング会場のテーブルに力の限り投げつけた。喚き声だか泣き声だか分からない声を上げて、私の腕を締め上げて顔を殴る有象無象を殺そうと彼女たちの事を私ごと目に映る硬いもの全てになんどもぶつけまくった。捕まえられるのが遅かった左足で近づく人間を全部のタガを外して蹴りあげ続けた。