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飛ぶ前に見ろ、それができたら嬉しいね。

【私小説】胡乱な男、毒と煙とチョコレヰト

7から声をかけられた時、最初の一言は「チョコレート味のタバコ、吸った事ある?」だった。

 

 

 

私は当時、精神病院を抜け出して制限時間内に戻ってこれるセブンで買う、所謂“普通”のタバコしか知らなかった。

 

「いや、無いけど。どこで吸えるの?」

 

「ここで吸える、と言いたかったけど残念ながら残りのシャグが一本分も無い。因みに電車で3駅で手に入る。行く?」

 

7は背の低い黒の箪笥から、角ばった字でCHOCOLATEと記された痩せたパッケージを取り出して逆さにした。もう中身が袋から零れるほどもないことを念を押すように。

「夜の電車はまだマシだから行くよ、私はこのまま出れるけど、7は?」

 

上着だけ羽織ってくる、下の店にバレると面倒だから先1人で降りといて」

 

私は冷気で満たされたコンクリートの壁を触りながらアパートの階段を下り、1階に入っている床屋を横目に目の前の公園まで歩いた。

やっぱり夜は黒に見間違うくらい煮詰めた濃紺からできている。もし背後から突然刺されたとしても、そのどろりとしたものは刃が私を傷つける前にそれ自身を溶かしきってくれるはずだ。

 

 

最寄り駅までは徒歩で大体10分。7は特筆して背が高いわけでもないのに、やたら歩くのが速い。何かから逃げているようにも上機嫌で浮き足だっているようにもみえた。私は友人が不機嫌になるくらい速く歩く方だが、少し急ぎ足になって追いかけた。

 

 

 

電車は柏駅に着いた。駅から吐き出されるように背中を押され、ドン・キホーテまで歩く途中でスーツを着た人とやたら多くすれ違った。蝙蝠のようにも見える人々が纏う黒で覆われた歩道が目新しかった。

 

 

柏のドンキは入り口が広い。

ドンキのエスカレーターに乗った私達が、鏡張りの壁に雑多なチラシと共に映った。そういえば7も黒ずくめの服なんだ、そう思って実物の彼を見上げた。さっきの人々とは違って、同じ黒でも7は烏みたいだ。そう思った。

 

 

4階でエスカレーターを降りて、まっすぐにレジの方向へ向かう。

 

私は斜め後ろから、まるでセカンドストリートの中にあるブランド時計コーナーくらいちゃちな、すぐ割れそうなショーケースを眺めた。 こういうガラスは案外縦に大きく割れて、あんまり粉々にはならないんだろうなあ、とぼんやり考えた。

 

 

 

 

 

 

いや、なるほど確かにコンビニで並べられるタバコとは全く違うわけだ。海外から輸入された製品と裏付ける、毒っ気を孕んだ彩度の高いパッケージに包まれた様々なタバコたち。これって、重税を課して搾り取った金で豪華絢爛にあつらえたドレスに身を包む悪婦たちだな。

 

 

 

7はチョコレートと言ったが他のタバコたちも随分と蠱惑的な視線でこちらをねめつけてくる、特に鮮やかな赤紫のワインベリー味だと謳うタバコなんて例え口に合わなくて捨てるとしても一度は吸ってみたい。

 

 

7は番号とチョイスのダークチョコレート、と店員に告げてからふと私に顔を向け、なにか欲しい?と口を開いた。

アークロイヤルのワインベリーが欲しい、と応えると7はすこしの間タバコを見やったあと、それも追加した。

 

 

 

 

 

帰り道はとにかく早くタバコが吸いたくて堪らなかった。誰かに渡されるプレゼントなんかよりも、己で選んだ欲しい物の方が心が躍るに決まってる。7が右手に持っていた袋を、電車の中でやっぱりこれ私が持つよ、と言って急いでセロテープを破って袋の上から二袋のシャグを眺めた。なんだか人間を2体眺めているような気がした。

 

 

 

 

 

家に着いて、コートも着たままに早速包みを開けた。

そっち貸して、と言って7はダークチョコレートの封を開けて適当に葉をほぐしてから、さっき一度開けた箪笥の引き出しからフィルターとペーパーを出した。一応こうしてシャグ自体にも巻ける紙は付いてくるんだけどね、俺はどうしても薄い方が好きなの、とタバコに目を落としたまま7は呟いた。

 

 

タバコに対して、紙、フィルター、シャグに吸う側が手を加えられることに私は大きく感動していた。ただ受容するだけの嗜好が、自分の手で恣意的に操作できるより完全な愉しみに変わったのだ。コンビニで買っていたタバコたちの顔が、頭の中でずっと奥に押し込まれたのが分かった。

 

シュリは巻いた事はないだろうからまずローラーで覚えたらいいよ、7はそう言って引き出しから何か取り出すと、そこにシャグをしき詰めはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちなみにここで欲張ると勿体無いからね。そうなるともう、零れるだけだから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィルターを端に寄せて、それ以外の部分に同じだけ葉をつめこむと、つまみを回してローラーを閉じ、向こうが透けて見えるほどに薄い紙を差し込んで、両手の親指で繰りはじめた。

 

5ミリくらいの紙が巻き込まれずに残っている所に7はそっと口を近づけ、舌で左右までゆっくりなぞったあとに最後まで紙を巻き込んだ。

 

7は今しがた生み出したタバコを持ってベランダに出た。私も次いで外に出てソファーに座る。一応ここは4階の最上階で、周りは背の高い建物があまり無いのでかなり見晴らしはいい。左側に線路が目に入る。ヒトの街に音もなく侵食する大きな龍の腹のようだった。寒さで息が白くなったが、街の明かりもさして強くないから星がいやにくっきり見えて、私たちにはお誂え向きな夜景だと思った。星は目だ。私たちが何をしているか、何をしようとしているのか星たちはすべて識っている。

 

 

 

7はソファーに浅く腰掛けて風が止んだ瞬間に素早く火をつけた。普段のタバコよりもずっと炎が高くのぼって、2秒ほど大きく燃えた後に馴染みの色に落ち着いた。

 

 

時間をかけて大きく一口吸った後に、7がこちらにタバコを手渡した。受けとって私も吸ってみる。なんだかいい意味で未知なるタバコへの味に対する興味がちょっと弱くなったのを感じる。吸いたい時にすぐ箱を取り出して一本抜き取り、火を付けるだけの淡白なタバコへのルーティンが破壊された。それだけで私は既に興奮のほとんどを味わっていた。それを思い出してから吸い込んだ。

 

 

 

確かに今まで吸ったタバコとは全く違うな。チョコレートを感じるかと言われると素直に頷くことはできない。でも人生で初めて、体で、タバコは元々生きてた葉っぱを燃やしている事が分かった。葉のえぐみとか、独特のいがらっぽさも悪くない。喉から胸にかけて重さのある液体をとろりと流し込まれたような重さも、この一本にかける時間も。

 

 

 

 

どうだった、と言うように7は私を見た。

 

「チョコレートかと言われるとそれはよく分からない。だけど丁寧な味。なんか多層な感じっていうの?」

 

 

 

「美味しい?」

 

 

「美味しい、とはすぐに言えない。それにこの手の味って、初めてで最高にハマらなくても不味いかどうかまでは判断に時間かかる気がするから」

 

 

 

 

7は私が直球で美味しいと言わなかったことがなんだか満足そうだった。

 

 

貸して、と言って私からもう一度タバコを受け取ると、こうするんだよ、と言って口を私の方に近づけた。タバコを持った右手の小指で自分のうすい唇の端を指差してから、スゥーーッと音を立ててタバコを吸い込んだ。

 

 

「口の端、少し開けるんだよ。咥えた時に若干空気の入る隙間を作ってさ、それで吸い込むの。温度が下がって本当の味がするから。」

 

 

何だかひと口で胸も頭の中も隙間がないくらいの感覚がしたが、もう一口くらいは吸って眠りにつこうと思い、7の真似をして要は浅く咥えればいいんだよな、と思いながら夜の我孫子の空気を一緒に吸い込んで、煙を吐いた。

 

 

 

 

 

甘い。さっきは甘さの一歩手前みたいな風味だったけど今は確実に甘く感じる。チョコレートより向こう、カカオの風味がする。炒ってある感じ。なんだ、お前、ちゃんと裏切らずにチョコレートのシャグだったんだ、と思って手元のちろちろ燃える火を眺めた。

 

 

魔法と呼ぶには理論が前に立ちすぎているけれど、吸い方ひとつで価値を一気に底上げされたことに、憧憬を刺激する面白さを感じた。

 

 

7はおもむろに立ち上がって私の手からタバコを取ると、銀の安っぽい柵に片手をかけて街を見つめながら残りの煙を燻らせた。

 

 

 

 

なんだか全部うまくいく気がした。虚ろな十字架を背負わされた今までが洗剤の泡みたいにしょうもない過去に思えた。そんなものは全部潰してしまえばいい。7が私との間に架けてくれた共通言語がこのタバコなんだとまるで確信めいた思いが満ちた。傷の多い私たちは迂闊に語り合うよりも、初めましての挨拶はこれくらいが一番正解に近いだろう。

 

 

 

7をベランダに残して、私は先に部屋に戻ってドアを閉めた。もうここには何ひとつ尋ねてこないように。

 

 

 

 

 

 

 

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あれから何年も経った今、私と7はもうお互いについての情報が更新される事はない。

 

 

7はきっと今もどこかでうすい唇で微かに笑ってタバコを咥えるんだろう。私はというと、7が最初のほんの一部だけ手を引いてくれただけで転がり落ちる石みたいに、タバコの蒐集にのめり込んでいった。

煙草屋に行っては吸った事のないパッケージが目に入るなりすぐに買った。食費よりもタバコに遣うお金があっという間に膨らんだ。家ではタバコたちが山積みになって行き場を無くすので、大きなプラスチックの水槽を置いてあげた。出かける時は甘い系で3人、酸味が強いものを2人、香りがほぼ無いものを3人、変わり種を2人のように日替わりでそれぞれの得意分野を持つタバコ達を何人も連れて歩くようになった。場所として巻くことができない時の事も考えて、BOXのタバコも勿論集めた。幾つ揃えても満足はできず、次の日にはまた新しい出会いを探した。ただひたすらに、タバコそのものに取り憑かれ、その香気にあてられた。なんだかタバコが私のことを動かすような、思考を乗っ取られた感じがした。

 

 

 

チャップマンの特有のねっとりした甘さ、スウィッシャースウィーツのピーチにブランデーを破れない程度に塗った時の本物の洋菓子のような味わい、ピールのギリシャヨーグルトのフィルターを咥えた時の衝撃、それら全てが肖像画となって私の中で博物感のように立ち並んでいた。

 

 

 

 

ところが、6ヶ月前にある大切だったものを喪ってから、直接の因果はないのにタバコ達への熱が急に冷めた。自宅のありとあらゆる色で埋め尽くされた専用の棚に今も彼らは礼儀正しく並んでいるけれど。

それは突然で、三月のある夕方、よく冷えた酒を注いでからブラックストーンに火をつけた。その刹那、つよい吐き気がしたのを皮切りに、大切な友人が急に掌を返したように感じてひどくゾッとした。タバコを吸うのがやけに怖くなった。すっかり足が遠のいていたコンビニのタバコたちを慌ててかき集めて、何とか口にできる味を探した。なんだかもう、美味しくはなかった。

 

 

 

 

タバコに対しては誰よりも深い愛をもって接したつもりだ。このままタバコが私のもとから遠のいて、ついに一切吸えなくなってしまっても、大切な宝物としていつまでも部屋に飾っておきたい。私の人生で一番近くにいた支えの中では最も長く留まってくれた、天使のような存在に、海よりも深い感謝を。

 

 

 

 

 

 

 

追記: 私にとってのタバコとは目を入れてしまった龍、もしくは麒麟なのかもしれない。そして、あまりにも幸福を欲張ってしまったが為に、きっと零れてしまったのだ。忠告はたしかに私からそれを奪って去った。